公益社団法人 山口県鍼灸師会


   ご挨拶   鍼治療は安全です   はじめて受診される方へ    鍼灸院紹介    健康保険について
本文へジャンプ




















































偉人伝2へ
山口偉人伝


吉田松陰

身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

親思う心にまさる親心 けふのおとずれ 何ときくらん




京都大学所蔵の吉田松陰像。
この像の顔が生前の松陰の顔に一番似ているといわれている。
l
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog038.html へのリンク
高杉晋作

【高杉晋作顕彰碑文】
動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、 衆目駭然、敢て正視する者なし。 これ我が東行高杉君に非ずや・・・

(一たび動けば雷電のごとく、発すれば風雨のごとし。周りの者は、ただただ驚き、呆然とするばかりで、敢えて正視する者すらいない。それこそ我らが高杉さんのことだ)後年、伊藤博文が高杉晋作顕彰碑に記した言葉。
http://www.yoshida-shoin.com/monka/takasugi.html へのリンク
伊藤博文

山口生まれ。政治家、元老。父林十蔵は萩藩の下級藩士の養子となり、以後伊藤姓を名乗る。吉田松陰に師事し、松下村塾に学ぶ。木戸孝允、高杉晋作らと共に尊皇攘夷運動に挺身。明治4年(1871)岩倉遣外使節団に特命副使として参加。大久保利通の信頼を得る。大久保の死後内務卿を継ぎ、政府の中心的位置を確保。15年(1882)憲法調査のため渡欧。18年(1885)内閣制度を創設し初代内閣総理大臣に就任。大日本帝国憲法の制定を指導。枢密院議長、貴族院議長、首相(4度)、初代韓国統監等を歴任。42年(1909)ハルビン駅頭で韓国の独立運動家安重根により暗殺される。http://burari2161.fc2web.com/itouhirobumi.htm へのリンク
乃木希典

東郷平八郎とともに日露戦争の英雄とされ、「聖将」と呼ばれた。しかしいわゆる「殉死」の評価についても諸説あるように、司馬遼太郎など「愚将」とする考え方もあるが、これに対する名将論・反論・擁護論も数多くある。

若い頃は放蕩の限りを尽くしたが、ドイツ帝国留学において質実剛健な普魯西(プロイセン)軍人に感化され、帰国後は質素な古武士のような生活を旨とするようになったという。

乃木は他の将官と違い省部経験・政治経験がほとんどなく、軍人としての生涯の多くを司令官として過した。また、明治天皇の後を追った乃木夫妻の殉死は、当時の日本国民に多大な衝撃を与えた。
http://www.sakanouenokumo.jp/nogi/ へのリンク

児玉源太郎

山口生まれ。陸軍軍人。父は徳山藩士。戊辰戦争に参加したのち、陸軍へ入る。佐賀の乱、神風連の乱、西南戦争に従軍し、士族の反乱を鎮圧。その後、昇進を重ね、陸軍大学校校長、陸軍次官を経て、明治31年(1898)に第4代台湾総督に就任した。その間、第4次伊藤内閣の陸相や第1次桂内閣の内相などを兼任。37年(1904)大将。日露戦争では満州軍総参謀長として活躍し、大山厳満州軍総司令官を補佐。39年(1906)陸軍参謀総長となる。
http://www.sakanouenokumo.jp/kodama/ へのリンク
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jog_index_frame.htm へのリンク

大村益次郎

長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となった。太政官制において軍務を統括した兵部省における初代の大輔(次官)を務め、事実上の日本陸軍の創始者、あるいは陸軍建設の祖と見なされることも多い。幼名は宗太郎、通称は蔵六、良庵(または亮庵)。諱は永敏。位階は贈従三位、後に従二位。家紋は丸に桔梗。


http://www.geocities.jp/bane2161/oomuramasujirou.html へのリンク

笠井順八

「これからの世の中、セメントが大量に必要になってくるに違いない。輸入によるだけでは、国の発展は望めない。国内には原料である石灰石が豊かである。これは何としても、このセメントを自分の手でつくらなければならない」と、一〇〇年以上も前に一人の男が決意を固めました。この人こそ、セメントをつくることに一生をささげて、セメントの町、小野田市の基礎を築いた笠井順八です。順八は萩藩の武士でしたが、明治時代になって武士の制度は廃止されました。生活に困っている元武士たちの様子を見るたびに、順八は新しい仕事を与えたいと思っていました。そうして、目を付けたのがセメント製造でした

http://www.chiiki-dukuri-hyakka.or.jp/1_all/jirei/100furusato/html/furusato076.htm へのリンク

   
岡藤五郎

岡藤先生は、「化石先生」としてたくさんの人から尊敬されていました。教職のかたわら明けても暮れても化石の研究に没頭され、そのひたむきな努力で、未知の世界(日本列島の生物の興亡それは感動とロマンの神秘な歴史のジャングル)をときあかしてゆきました。先生の残されたぼう大な資料を手にするとき「化石先生」の姿が蘇ります。

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-657.html へのリンク